ケータイ小説的。“再ヤンキー化”時代の少女たち−コミュニケーションのジゴクを生きる若者

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説が流行る背景を、端的に書いてあり参考になりました。

「ここまで取り上げてきた「優しい関係」もしくはAC(アダルトチルドレン)的な作法は傷つけあうことを避けるために生じた技術だが、その技術が浸透するとそれ自体が抑圧となり、現代ならではの生きづらさを生んでいる。そして、それらとの対峙こそが、ケータイ小説における文学的主題と言えるのではないか。」

「「ひきこもり」という現象も、まさにこの「優しい関係」という、耐え難いコミュニケーションのジゴクからの逃避として存在するのだろう」

この「優しい関係」とは、対立の回避を最優先する関係であり、互いの葛藤や感情が表に出る場を失い、内部にため込まれ、緊張感や抑圧を生むということでした。

ネット上でのイジメが問題視されたり、炎上・祭りが起きるのも、こういった対立の回避を最優先する「優しい関係」が今の若者の間の主流になってきた、裏返しなのだと感じました。

そういった「優しい関係」が、自分自身の感情を内部に抑圧し、自分自身を苦しめていった結果が、より大きなフラストレーションとなり、ネットに出てきたように感じたました。

いまどきの若い者は、という年に自分もいつの間にかなってしまいました。

この本を読み、またケータイ小説が流行る背景を知るにつけ、今の若者は、若者なりに苦しみを抱えているのだと思いました。

「耐え難いコミュニケーションのジゴク」という言葉に集約されるのではないかと感じました。

著者ブログより
http://www.hayamiz.jp/2008/05/post-864a.html