誰も知らなかったケータイ世代

誰も知らなかったケータイ世代

誰も知らなかったケータイ世代

mixiのアクセス数は、PCからよりケータイからが抜いたというニュースをちょっと前に耳にしました。

ケータイがPC、TVを逆転する日は近い!

と帯にも書いてあることがテーマとなっているのがこの本です。
ウェブ進化論」にも、新技術における世代格差について書かれているところがありました。
10代でどんな技術に接するか、それ以上の世代で接する新技術には人はついて来られないという件があったと思います。

私は、30代半ばで、ケータイ世代というよりは、ポケベル世代の人間です。
ケータイメールやWEBができるようになったころには、20代後半になっていたと思います。

ところが、10代から、ケータイでメール、WEBに親しんでいた世代と私のような30代との格差は、私たちPC世代と、それ以上の世代以上の格差があるのだと言うことを実感した本でした。

「あんな小さい画面でよくWEBなんかできるなぁ」とか
「PCで見た方が、情報量も多いし、早いじゃない」などと思っているのは、頭が古いことを自ら表明しているに過ぎないと言うことがわかりました。

ケータイ世代も、大人になればPCを使う人も多くあると思いますが、ケータイ→ケータイという層がどんどん増えてきているという実感です。

これだけケータイアクセスが多いのも、10代なればこそという原因がこの本を読んで分かりました。

ケータイ世代である学生や20代のフリーター、さらには社会人でも夜間などは、時間に追われていない暇なときに携帯電話を使う。時間がありあまっているから、携帯電話にその時間を投下したいと考えている。そちらの方がユーザーとしてはメジャーなのだ。
(略)
若者が携帯電話を必要とするのは、それがないと遊べないからだ。
(第4章 ケータイとともに進化する若者たち)

時間が余っているというのは、豊かな社会の恩恵ですが、こういう発想は自分が年を取ると忘れていました。
確かに、高校生のころとか時間があまっていたように感じます。
情報源が、テレビがほとんどだった私の時代は、テレビを良く見ていたという記憶です。
それが、現在では、テレビはあるものの、それを見ながらでもできるケータイが加わったと言うことですね。

そういった情報を何に使うのかと、これも自分の高校生時代を思い出すと、友人などとの会話の情報元なんですね。

以下は、nikkeibpより

2人は口を揃えて言った。「友達との会話が命」。

 彼女らが重視しているのは、携帯サイトの中でコミュニケーションをするというより、実際の会話をいかに盛り上げるかにある。その中で前略プロフは、身内話のネタを増やす絶好の道具なのだ。

 以前なら、友人の噂話は学校や塾など現実の生活の中からしか拾えなかった。だが、今は1日中手放すことがない携帯から、欲しい時に欲しいだけ新しいネタを手に入れることができる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20071112/140337/?P=1&ST=sp_web

こういった情報感度の高い友人からの、クチコミで情報がどーんと広まり、商品やサービスがヒットするというのが、今のケータイを取り巻く構図のようです。

こういった情報を仕入れるという志向は、一種の自己主張したいといういつもある欲求からなんだと思います。

日本人は自己主張が苦手と言われています。
特に最近は、「突出して目立ったり、他人とあまりにも変わっていると、みんなに嫌われるのではないか?」という、恐怖感もあります。学校裏サイトのいじめ書き込みなどは、その悪い例になっています。そういう環境では、透明化することが若者に強いられる空気が蔓延しているのではないでしょうか。

ケータイネットがそれだけ流行るのも、ある種匿名性をたもちつつ(snsのハンドルネームや、携帯小説ペンネーム、携帯サイト、モバゲーのアバターなど)自己表現が可能だからでしょう。
透明化を強いられるその反動として、今の若者は特に他人と同じというのを避けたがる傾向にあります。

「着歌フル」も、1曲から3箇所切り出せるサービスが登場するとそのサービスが圧倒的に売り上げを延ばしたそうです。

若者は自己主張したい。と言っても、そのやり方や表現の仕方は人それぞれ。ただ、他の人と違うことをしたいと、みんな思っている。
(略)
支持されたのは、ケータイ世代の若者が〝みんなと同じ〟は嫌だからだ。同じでは自分らしさを主張することにならない

巻末の言葉もそれで締めくくられている

とにかく、ケータイ世代は自己主張したいけれども、あくまでさり気なく、ささやかものであることが絶対条件だ。その欲求を助長できるようなサービスを生み出せるかどうかが鍵になる。

ケータイで自己表現がどんどんできるようになれば、ネットでの知的生産は窓口が変わるだけでどんどん加速していくとおもいます。事実本屋に行くと、ケータイ小説がベストセラーに常連としてならんでいます。

それは、一つの現象ですが、いつでもどこでもWEBにアクセスできる端末を、ほとんどの人が持っているというのは、考えてみたらすごいことです。
あとは、ケータイネットがそのまま進化していくのか、それともiPhoneの用に、PCのサイトが普通に携帯端末で見ることができるようになるかの違いですね。

実際につくる方としては、後者の方が望ましいのだと思います。
個人的には、ケータイでもっといろいろなことをしたいというユーザーが増えていけば、PCサイトを、普通にケータイで読めるようになり、ケータイのみのサイトが廃れていくのではないかと思います。