武田家滅亡に学ぶ事業承継−継がせる側の責任

武田家滅亡に学ぶ事業承継

武田家滅亡に学ぶ事業承継

戦国最強を誇った武田家が、信玄亡きあと次の勝頼で滅びます。その原因を通して、中小企業でよくみられる事業承継の難しさをコンサルタントである北見昌朗氏が解説してくれた1冊。

私もこの本を読むまでは、武田家というのは、勝頼に才能がなかったために、長篠合戦で織田・徳川連合軍に敗れて滅亡したのだと思ってました。
しかし、本当の原因は事業継承における継がせる側、信玄にこそ原因があったのだと言うことがよくわかりました。

信玄の遺言は

「勝頼は代理の投手とする。その子信勝が16歳になったら、頭首の座を譲るように」
(略)
信勝はまだ赤子だった。これは勝頼にしてみれば耐えきれない屈辱だ。赤子と比較して、それよりも劣るので代理だと言われたのだ。

というものでした。

これは確かに頭に来ます。そういった原因は親子の不和にあったと言われています。

「親子の不和」は古くて新しい問題だ。ここがうまくいかなければ、事業承継はうまくいかない。

実際この様なことで武田家を継ぐことになった勝頼。もとより名将武田信玄をいきなり超えられるはずがありません。信玄以来の古参の家臣も沢山おり、しかも勝頼より年上ですからいろいろと意見を言ってきます。

武田家当主としての地位を確立し、統領として全幅の信頼を獲得するためにただ一つ残された方法は、合戦に勝ち続け、天下に名声をとどろかせることだけになってしまったのです。

こういう背景から、連戦をし、長篠の合戦で大敗を喫してしまいます。
勝頼は「強過ぎる大将でした」

強過ぎる大将は、心が猛々しく機敏で雄弁で説得力があり、知恵も人より優れ、何事においても弱気を嫌う。したがって家老も、カミナリが落ちるのを恐れて口を出しにくくなる。何事につけても強引で思慮が浅いから、自然部下の者も同じように強引なやり方を武士の名誉だと考えるようになる、その結果、大して重要な戦闘でもないのに、後先を考えずやたら人員を投入して多くの戦死者を出してしまう。

決して無能では無かったようです。
しかし結果として、強過ぎる大将である勝頼は、うるさく忠告する老臣をしりぞけ、イエスマンをまわりに置くようになります。
結果最後は、長篠の合戦の後、国内にくる敵軍を迎え撃つために、新府城を建築するも、親族の木曾義昌が反旗を翻し、わずか新築完成7日の城をすて、逃亡することになります。
その逃亡に際しても、有力家臣の穴山信君が家康と内通していることがわかり、伯父も退却、老臣・小山田信茂、長坂長閑斎にも裏切られ、最後は自害をします。

武田家滅亡をみるに、継がせる側の責任は大きいようです。
最後に継がせる側のための10の教訓があったので、紹介します。

  1. 子どもに必要以上の金を与えて甘やかすな
  2. 子どもに適性がなければ継がせるな
  3. 早くバトンタッチしろ。子どもを何人も会社に入れるな
  4. 後継者に苦労をさせろ
  5. 任せた以上、後継者を信じて任せ切れ
  6. 後継者がやりやすい体制を作れ
  7. 自分自身が健康に留意して長生きしろ
  8. 株式の分割をするな。後継者に株式を100%譲るべし
  9. 相続税対策を講じておけ。遺言を残せ
  10. 子に継がせたければ会社を大きくしすぎるな